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前夜発 5泊6日  槍沢ヒュッテ 槍ヶ岳山荘 北穂高小屋 穂高岳山荘 徳沢園

 息子達から「なんで親と旅行せんとあかんのじゃ」と反発されてしばらくやめていた登山ですが 「久しぶりに行っても良いよ」という事で「一大イベントを」と思っておりました。
 ある日 テレビの夏山中継で南岳の下からひょっこり子供が現れ、アナウンサーが「僕 下から来たの?」 「うん」。
 中継時間は夕方6時、大人もいなけりゃリュックも無い、ただ遊んでいるだけなのかもしれないのに その時は今キレットを越えてきたと思い込み、それで決定してしまったのです。なんと胆略的で都合のいい思い込みでしょうか。
 絶対不可能と思っていた憧れの「キレット越え」が楽に行ける、、、ワクワクしてきました。長く北アルプスから離れていたので子供でも行ける程に整備されたに違いないという大きな勘違いから大キレット越えを計画してしまいました。

 資料を集めているうちに 「やっぱりおかしいぞ」とは思いましたが、槍 穂高 上高地大好き 冒険大好きの私としてはやめる訳にはいきません。決行のはこびとなりました(いつも計画は私の楽しみです)。

 まず槍沢ロッジで最初の恐怖の洗礼を受けました。キレットを越えてきた登山者が恐怖の自慢談をささやいています。我等4人組かなりビビリましたが まだ口に出してやめようとは言いませんでした。
しかし槍ヶ岳山荘でもっと怖い体験自慢話を小耳にはさんだあかつきには、もうだめです。朝 大いにもめたあげくやっぱり決行となりました。 本当に恐い登山でした 思い出すと身震いが甦ります。

 槍ヶ岳山荘から3時間で南岳小屋。途中キレットを越えて来たと思われる いくつかのパーティーとすれ違う毎に今更ながらではありますが「どうでした」と聞いてみると 皆が「 すごかった 」と口をそろえておっしゃる。
 私と同い年位の中年夫婦の奥さん、恐怖が体から染み出ていました。聞いてみると答える余裕すらない表情で首を横に振られ無言で去られました。
 南岳小屋で私が『絶対に行かない』と必死に抵抗しましたが すでに遅かったのです。さっさと息子達は歩き出すし 夫には『自分で計画しておきながら 何を言う』とバカにされるわ・・・・・抵抗空しく出発です。
 小屋を越えるといきなり急な下りになり一枚岩の滑り台のような所を滑り落ちると23段のはしごが、 いよいよキレットへの始まりでした。

 私の前に夫が後ろに長男が歩いてくれました。歩行中は恐いなんて思っていられません。恐怖心が沸く前に手足を出さなくてはいけません。前を行く夫から手足の置き場の指示を受けながらも 指の手掛かり、つま先を置く足掛かりを探す恐さ。飛騨側がガスっていて谷底が見えなかったことが幸いして少し恐怖心はマシだったかも知れません。
 手を離し落ちて死んだ方が楽ではないかと錯覚するほどの恐怖の連続でした。 遥か先を一人行く次男のことは心配ですがそれどころじゃありません。滑落音や「ギャー」とか声が聞こえないかぎり『大丈夫』を信じて必死の歩みでした。 後で彼曰く 「俺五回死んだかと思ったぞ!」。

 我々と逆コースで来るすれ違ったパーティー数は通過中 十くらい。我々の方向は少し多いくらい。 北穂高小屋のテラスからは最後の到着者の私に拍手が起こりました。緊張が解けて涙が溢れました。テラスからは ゆっくり もたもた歩いている私がずっと見えていたんですね。あーあ恥ずかしい。 この日 寅さんの訃報が流れていました。

 二度目の北穂高小屋。クラシックが流れ ここは落ち着きます。日本のいちばん高いところにある山小屋です。若いご主人のこだわりの山小屋、昔からの陶器の皿にこだわりの料理の数々。食後のコーヒーをゆっくり味わいました。ここに居る人達は皆きつーい道を登って来た仲間ですね。息子達はといえば二人ともゲームボーイに興じておりました。

 この夜律儀なおじいさん(失礼)にお会いしました。廊下に改まって座られて 「いびきで御迷惑をお掛けすると思います、お許しください」 と言って深々と頭を下げられ、 朝になるとまた座られて 「御迷惑お掛けしました」。立派ですね。 大丈夫でしたよ うるさかったのはうちの夫でした。
 翌日 穂高岳山荘までの道もキレットに劣らない位に厳しかった。(以前 涸沢から直接北穂高に登り、歩いた時はあまり恐くなかったんですが) 
 私としては本当に無謀な登山だったと思います。事故が起こらなかった事に感謝でいっぱいです。
 キレット通過方向は我々の南岳方向からのほうが危険度はましのように思いますが。

  このコースずっと常念岳の優しい姿に励まされ歩き続けました。

 穂高岳山荘に着いてやっと落ち着き、思い出すと恐怖心が震えとなりました。 充実感 達成感 それ以上に「よく生きて今ここに居るなあ」という気持ちで一杯でした。
 
 この山荘はザイテングラードや北穂高岳、岳沢からの登山者のほうが当然大多数です。
「大キレット越えたぞー」っと叫びたい思いでした。
 翌日はゆっくり徳沢園へ。今年もここへ来れた喜び。そして健康を実感しました。恐怖の想い出深い登山でした。 岳人の世界がまだ残る徳沢を出発。明神で人の波に入り人間界へ。

上高地は私にとっては努力 苦労 辛抱の後の【ご褒美の地】です。いま越えてきた山々を頭上に見上げ 感慨にふけるのに最適の美しい 美しい山の谷間なのです。 

 行動中息子たちからは あまりにも厳しいコースの為非難ごうごうでした。
でも 「 良い経験が出来たでしょう!強くなったでしょう!自慢できるでしょう! 年をとって一番先に思い出すのが
『キレット越え』かもしれませんよ 」
このコースこそ二度と行けません。行けて良かったとつくづく思います。
  
いよいよ
キレットです
先行く次男
キレット ここを歩いて 来たのです 一息ついて
涸沢への下り 涸沢槍を仰いで 涸沢小屋 雪渓を行く

1日目  槍沢ロッジまで

2日目  槍沢ロッジ・・・槍ヶ岳山荘

3日目  槍ヶ岳山荘・・・南岳・・・北穂高小屋

4日目  北穂高小屋・・・穂高岳山荘

5日目  穂高岳山荘・・・涸沢・・・徳沢園

6日目  徳沢園・・・上高地・・・帰宅

北穂高岳山頂から槍ヶ岳方面

お疲れ様 明神池で
さらば槍ヶ岳 苦難の道へ
1996  槍ヶ岳-キレット)-北穂高岳-涸沢岳-穂高岳山荘-徳沢園
穂高岳山荘
から常念岳
涸沢への下り

家族登山 6 大キレット

山日記
近年 これより先の大キレットは

重大事故が頻発しています

大キレットは難易度・スケール

共に日本屈指のハードなルートが続きます

いま一度 天候・体調・装備などを

確認の上 事故のないように

気を引き締めて!

無事通過されることを願います。
              
              南岳小屋
田代池 槍ヶ岳へ
岩魚がいます 明神池で