1973 尾瀬 6月
前夜発 2泊3日? 長蔵小屋 ? 御池ロッジ
1965 乗鞍岳-上高地 1970 信州 山の旅
1972 蓮華温泉-白馬岳-大雪渓-白馬駅
1973 尾瀬
1日目 白馬駅・・・八方池・・・細野
2日目 細野・・・蓮華温泉
3日目 蓮華温泉・・・白馬大池…白馬岳・・・白馬岳山荘
4日目 白馬岳山荘・・・大雪渓・・・猿倉・・・白馬駅・・・帰宅
「山に人工的な赤い屋根は無粋だ」って書いてる人がいましたが、 緑の木々 青い空に白い雲、 緊急時に目立つ事は言うまでもありませんが、赤い屋根は可愛いものです。 白馬大池の山荘は 真っ赤っ赤でびっくりしましたが・・・きっとこの建物を見られたのかな?
小雪渓のトラバースは私には恐かった。初日の白馬駅で一組100円で早々と借りておいたアイゼンが無かったらすぐに滑ってしまう私はきっと下れませんでした。雪渓の下りはひんやり、夏の登山には最適ですね。 途中小さな落石音があちこちから聞こえ「落ーッ」と言う注意を促す声も・・・
女二人の北アルプス初挑戦 基本どうり入門は白馬岳からでした。
ガイドブックを読むうち 大雨→落石→当たって死亡。 雪渓→クレバス→落ちて死亡。3000M→岩場→滑落して死亡。女二人→力不足→疲労で死亡。そんなことばかりが頭をよぎって・・・心配性な私です。
大学の時は春 夏 冬と休みの度に信州にはよく出掛けましたが
その中から 1970 信州山の旅
若い頃の写真を堂々とだすところなんて おばさん化はなはだしい今日この頃です。青春時代の思い出です。まあいいでしょう お許しくださいませ。思い出整理なのですから。
人任せの旅は駄目ですね。 よく覚えていません。ミズバショウの頃に職場の仲間4・5人と土曜日の夕刻から出かけました。新幹線で東京へ
沼田駅到着は深夜2時頃だったか 駅前は異常な賑わいを見せ煌々と明るく照らされた人、人、バス、バスて溢れていました。今もそうなのでしょうか。
大清水から入ったと思います。峠を越えてずるずると尾瀬に落ちるように入りました。でも別コースより楽だって聞きましたが。山小屋の記憶も竜宮あたりにもありますので長蔵小屋以外にもう一泊してるのかも。
水芭蕉の最盛期は少し過ぎており、ザゼン草はわずかしか見られませんでした。 朝もやに白く霞む尾瀬沼、ひんやりした佇まいが忘れられません。御池ロッジは離れた場所でしたが綺麗な所でした。ここからの入山が楽かも知れません。
次は ニッコウキスゲが咲く頃に尾瀬を訪れ 至仏岳から尾瀬沼を見下ろしてみたいと思いますが 元々 体力無く 運動大嫌いの私ですから 行けるでしょうか。
同じく山が好きになった高校時代のクラブの友人と台風が近づくなかの二人旅。
北アルプス初挑戦です。
初日は八方尾根まで行き 八方池から見上げる白馬三山の雄姿に見とれました。
いい場所に建つ山荘に「次は絶対ここに泊まろう」と思ったものです。
細野での朝はどしゃぶりでした。その日は猿倉まで行き次の日に大雪渓を登る予定でしが迷ったあげく白馬岳へはコースを変えてその日は蓮華温泉まで行き、逆コースから登る事にしました。雪渓通過は最終日です 大雪渓を一日でも遅く通過したかったのです。日程に変化はありません。
前もって調べた資料によると、大雪渓では落石が多く死亡事故もあるとか。怖い事ばかりが脳裏をよぎり「大変な時に大変な所へ来てしまった」と後悔しきり、栂池で遊ぶにしては日程があり過ぎる。 思い切って蓮華温泉に向けて出発です。
雨の山道、バスを降りたのは我等二人だけ。心細く歩いて行くと濁流渦巻く中、流木で橋をかけていた二人の男性を見つけました。温泉へ続く川の橋は流されて道は閉ざされていたのです。
一番狭い所の川幅はせいぜい3m位でしょうが濁流は凄い勢いでした。何本かの長い流木を川の途中の石の隙間に挟み込みこみ そしてまた向こう岸へも。彼らの橋が完成するまで渡れる場所を探しましたが勿論無理。向こうの崖も水を含んで崩落も始まっていました。 温泉への道は彼らの橋にかかっていました。
リュックは向こう岸へ放り投げてもらい流木の橋をつかみ這って川を越えました。
車で温泉巡りをされているそうです。彼等に出会わなかったらあの旅はどうなっていたでしょうか。辺ぴな山道 置き去りされ 再びバスは来たのでしょうか。それとも・・大怖い。
蓮華温泉はひなびた湯治場のようでした。
翌朝 雨は上がり ぬかるんだ道を歩き出しました。
1965 乗鞍岳ー上高地
2泊3日 宿泊地 乗鞍岳肩の小屋 山のひだや
1965 乗鞍岳-上高地 1970 信州 いいとこ巡り
1972 蓮華温泉-白馬岳-大雪渓-白馬駅
1973 尾瀬