ポーランドではまず ワルシャワから6時間列車に乗って古い都市のクラコフへ。アウシュビッツ収容所跡へはそこから車で1時間ほどでした。
後から作られたものは一切ありませんでした。
戦後訪れた見学者の多さを示かのように 石の階段は靴跡でへこんでおりました。当時の物はそのまま一切手を加えず 寒々とした中に色を失っておりました。言葉で書くと薄っぺらになります。いくつか写真を載せます。 (年の違う写真がいくつかありますが、夫が別に行った年のものです)
このまま風雪の中いつか朽ちていきそうですが、その姿こそがより一層の悲しさを増すと共に深刻さ 重々しさを刻んで行くように思えました。
私達日本人はあくまでも戦争当事国で連合国側ではありません。解放軍ではないことを心して訪れなくてはいけないと思います。
パリで5泊した後スエーデンのストックフォルムに行きました。
パリと比較してはいけませんがあまりの違いに驚き、パリの壮大さが改めて分かりました。
ストックホルムの中心地は趣のある町並みではありませんでしたが、街に続く港は大型客船や大小の船が停泊しており建物も古く独特のかおりを見せてくれました。
オペラ座では日替わりでバレーとオペラを上演しておりました。料金もとてもリーズナブルで市民の日常の娯楽として定着しております。
日本では歌舞伎 能 狂言など伝統芸能が何故高額なのでしょうか。伝統芸術を守り育てる為 国から多額の補助金が出ている筈なのに、庶民感覚の料金に何故成らないのでしょうか。能が好きですが高額すぎて観にいけません。
電車で30分ほどで旧市街のガムラ・スタンという ストックホルム発祥の地といわれる古い街に入ります。重々しい石造り建築物に石畳。素敵な店が並びます。
社会福祉の発達した国です。スウェーデン産の物は人件費が高い分高額で 輸入品の方が安いといったところでした。
この国は王国です。国王夫妻の写真が町で絵葉書と同じように売られていました。
一人で毎日うろうろしました。地下鉄は地下深ーく深ーく、往きと帰りは階が違うのです。日本のように同じホームの左右だとばかり思って いつまでも電車を待ったものです。・・エスカレーターはかなりの急角度で時間が掛かりますが、速度はロシアよりはゆっくりでした。
ヨーロッパへはアンカレッジ経由で23時間ほどかかりました。
最初パリの地に立った時の驚き 我等木の文化の民族にとっては、石の建造物の巨大さ 彫刻 装飾のみごとさ 頑丈さ、圧倒される以上に卑屈になる自分を感じました。
「日本の家はうさぎ小屋 木と紙で出来ている」、そう言って笑う欧米人の傲慢な感覚が理解できましたが、日本の国土の70% (不確かですが) が森林です。だからこその木造建築美。木材あってこその誇れる文化の数々。
どこを見学していても「異邦人」。 気恥ずかしいお客様状態。そんな気持ちがふっ切れたのが、オランジュリー美術館で見た、ゴッホ、モネの絵に描かれた『浮世絵や日本趣味の庭の橋』でした。「ここに日本がある」。やっと存在感を見つけることができました。世界に誇れる文化 国民性を、、と願わずにはいられません。
パリの写真は2003年 パリ ギリシャに多く載っています、名所写真はつまらないのでやめます。
21泊23日 3/27-4/18
フランス パリ (5泊)
スウェーデン ストックフォルム (6泊)
ポーランド クラコフ (1泊) ワルシャワ (3泊)
オランダ アムステルダム (2泊) 一人旅
ドイツ フランクフルト (2泊) ミュンヘン (2泊)
ワルシャワ科学アカデミーは 地位が上がるほど上の階に行くそうです。
ロシアのモスクワ大学と外観はほぼ同じに見えました。こういった形でもロシアを浸透させていくのですね。
主人をワルシャワに残して 私は一人でオランダのアムステルダムに飛びました。
コカイン解禁の国と聞きます。警官からさえもお金を盗られたとも聞きました。恐かったけれど、2泊の完全一人旅です。運河巡り デルフト巡り そして街中をうろうろ。フランクフルトへの列車の切符を買いに中央駅へ行くときは気が引き締まりました。駅の周りは4時頃からコカインをやっている恐そうなお兄さんがたむろっているそうです。ぎりぎりでセーフ、明日の出発ホームを確かめて駅を出ました。
デルフトへはツアーのバスを利用しました。ガイドはご丁寧にも5ヶ国語(英 仏 伊 独 スペイン)で案内。車窓から緑の中に風車が流れていきました。
1990 ヨーロッパ |